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故郷は熱帯アジア――ショウガ(ショウガ科)
2008年6月の記事
特有の辛味と香りが魅力のショウガは、熱帯生まれの世界的な香辛野菜。すりおろして薬味にしたり、魚や肉の臭み消しに利用する根ショウガは周年流通しますが、葉ショウガ、筆ショウガ(矢ショウガ)は、本来暑い時期に収穫される季節感あふれる野菜です。酢漬けもおいしく、みずみずしい若い根茎を、生のままカリッとかじるのもまた格別です。
原産地はインドからネパールにわたる熱帯アジアとされていますが、原種は見つかっていません。
中国ではかなり早くから普及していたようです。『論語』にショウガについての記載があり、孔子の時代(紀元前6世紀ごろ)にはすでに知られていたことが分かります。ヨーロッパへはインドから伝わり、紀元前3世紀にはギリシャ、ローマで乾燥ショウガが医薬品・香辛料として珍重されたそうです。
日本への渡来時期ははっきりしませんが、3世紀の日本について知り得る資料として、『魏志倭人伝』にショウガについての記載があるため、3世紀以前にはすでに伝わっていたと考えられています。江戸時代には関東以西で広く栽培されていました。当時の農書には栽培法や貯蔵法、品種などについて詳述されています。
ショウガには200種類以上の香り成分が含まれているそうです。それらには健胃作用、解毒作用、保温作用、消炎作用などの薬効があることが知られています。また、辛味成分には殺菌・抗菌作用があるそうです。風邪の初期症状の緩和に用いられるしょうが湯などは、古くから伝わるおなじみの民間療法です。
ところでご存じのように、英語ではショウガのことをジンジャー(Ginger)といいますが、アメリカでは「威勢のいい人」、「活気に満ちた発言(行動)」などを意味する俗語にもなっているそうです。
薬効ある香辛野菜――シソ(シソ科)
2008年5月の記事
シソは和食には欠かせない香辛野菜。青ジソの葉や穂ジソは刺し身のつまの定番ですし、ちょっと気取った一皿には、双葉が展開したばかりの芽ジソが添えられています。また、赤ジソの葉は、梅干し作りに不可欠です。未熟なうちに収穫したシソの実は、漬物などに利用されます。成長のさまざまな段階で、これほどこだわりを持って利用される野菜は珍しいでしょう。露地栽培での旬は夏ですが、周年栽培されています。
もともと日本の植物だと思われがちですが、原産地は中国中・南部およびその周辺だといわれています。中国でも古くから栽培され、食用や薬用に利用されてきました。漢方では、解熱、去痰(きょたん)、消化促進、解毒などの薬効がある生薬とされています。
中国・洛陽の町でカニの食中毒で死にかけていた若者が、シソのせんじ薬でよみがえったという伝承も残っているそうです。
日本では縄文時代の遺跡からシソの種子が出土しており、渡来したのがごく古い時代であったことは確かです。平安初期の本草書『本草和名』に初めてその名が記され、江戸期の農書『農業全書』(1697年)には、栽培法や品種、用途などが詳しく述べられています。
赤ジソの鮮やかな色は、活性酸素を除去する物質として知られるアントシアニンという色素がもとになっています。また、シソの芳香成分ペリルアルデヒドには、抗菌効果があるそうです。刺し身のつまに利用されるのは、理にかなったことなのです。
ちなみに最近、焼肉店などで出るエゴマの葉は、ゴマの仲間ではなくシソの変種です。韓国や東南アジアでは、シソよりむしろエゴマが野菜として多用されているようです。
欧米では、シソはいまだになじみの薄い食材のようですが、イギリスではなんと、夏花壇を彩る観葉植物としても使われているそうです。
においと薬効――ニンニク(ユリ科)
2008年4月の記事
ニンニクは保存性が高く、一年中流通しますが、本来の収穫期は春の終わりから初夏にかけて。出荷のピークは5月ごろです。
原産地は中央アジア。歴史は古く、古代エジプトのピラミッドには、作業員の食料となったニンニクやタマネギ、ダイコンの量が刻まれていたそうです。また、その薬効の高さも古くからよく知られ、古代ギリシャの医師ヒポクラテス(紀元前460年ごろ〜375年ごろ)は、薬草としてのニンニクを高く評価し、さまざまな治療に役立てていました。
中国には紀元前100年ごろに伝わったという記録が残されています。食用としてはもちろん、漢方でも利尿、整腸、駆虫などの薬効がある生薬として利用されています。
日本への正確な渡来時期は不明ですが、平安時代以前に中国から伝わったと考えられます。『本草和名』(平安初期の本草書・薬物辞典)に記載があり、当時から薬用や食用として利用されていたようです。江戸時代の農書『農業全書』(1697年)にも、効能や栽培法について記されています。
ところでネギ属にはにおいの強い野菜が多いですが、中でもニンニクのにおいは最強でしょう。実はこのにおいこそ薬効の源。においのもとであるアリシンという成分には、強い殺菌作用や抗酸化作用があるそうです。米国国立がん研究所が発表した「がん予防の可能性が高い食品」リストのトップに挙げられています。また、血中コレステロールの上昇を抑え、動脈硬化を抑制する働きも知られています。
とはいえ食べ過ぎは禁物。大量に食べると胃腸の粘膜を傷めることがあるので、薬味として利用したり、いため物の香りづけに使うなど、ほどほどの量を頻繁に取るのが効果的でしょう。料理の主役にはなり得ないけれど、なくてはならない個性的な脇役野菜といえそうです。
祖先はアブラナ――カブ(アブラナ科)
2008年3月の記事
一般にカブといえば、まず思い浮かぶのは丸くて真っ白な小カブでしょう。ダイコンとはまた違い、きめ細かな肉質とさわやかな甘味が魅力です。
先祖はヨーロッパ東部に自生する野生アブラナ。そこから分化して生まれた一変種がカブです。紀元前からヨーロッパで栽培され、約2000年前に中国に伝わりました。
日本への渡来時期ははっきりしませんが、『日本書紀』(720年)にはすでに記載があり、古くから重要な野菜であったことが分かります。また、異名をスズナといい、ダイコン(スズシロ)とともに春の七草の一つにも数えられています。
かつて、東日本の焼き畑ではカブが多く作られていました。それは西日本の焼き畑の芋に相当し、主食を補う重要な食料だったようです。焼き畑栽培は、今も一部の地域で行われています。
カブは形、色、大きさがとても多様。地方特産の在来品種も数多く残されています。千枚漬にされる大形の聖護院カブ、外皮が紅紫色で中は白い温海カブ、根の長さが30cmにもなり、上部が紅紫色に染まる日野菜カブなど、ダイコンと見まがうような種類もあります。
ただし、花が咲けば違いは一目瞭然(りょうぜん)。アブラナの子孫であるカブの花は、鮮やかな黄色の菜の花で、ダイコンは薄紫や白い花をつけます。
収穫時期には品種によって多少の差がありますが、多くは秋から冬。寒い時期ほど味が良いとされています。ただし、小カブは品種改良や栽培技術の発達により、周年流通しています。
葉は捨ててしまう人も多いですが、ぜひ青菜として利用してほしいもの。カブの葉はあくが少ないため下ゆでの必要もなく、ホウレンソウや小松菜に匹敵するほどのビタミン類を含んでいます。カルシウム含有量は、ホウレンソウの約4倍もあるそうです。
清正ニンジンの名も――セロリ(セリ科)
2008年2月の記事
セロリは産地を変えて周年流通しますが、出荷量のピークは春先ごろ。野生種は地中海沿岸を中心に、ヨーロッパ、アジア西部、北アフリカなどの温帯地域に広く分布します。セリ科にはパセリやミツバなど、香りの強い野菜が多いですが、セロリもその一つ。古代ギリシャ・ローマ時代から薬用、香味料として利用されてきました。
栽培は16世紀以降にイタリアで始まったらしく、ヨーロッパ各地に広まっていきました。19世紀にはアメリカに伝わり、現在では世界有数の生産国となっています。
中国にも古い時代に伝わり、野生種に近い小形のセロリが芹菜(キンサイ)の名で栽培されています。香味野菜のコリアンダーと見まがうきゃしゃな姿で、香りもより強いのが特徴です。日本では葉柄の太いがっしりした品種が主流ですが、芹菜のほか、野趣のある小形品種が、スープセロリやミニセロリの名で流通しています。
日本へ初めて渡来したのは、16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵の折だといわれています。加藤清正が持ち帰ったとのいわれから、当時、清正ニンジンと呼ばれたそうです。これは芹菜に近い東洋系のタイプだったようです。江戸期には西洋系の品種がオランダ人によってもたらされ、オランダミツバと呼ばれました。しかし特有の香りの強さから、長いこと普及しませんでした。昭和30年代以降、食の洋風化とともに食卓に上るようになった野菜の一つなのです。
セロリは生野菜サラダ、特に棒状に切った野菜スティックにはもってこいのシャキシャキ感が魅力です。特有の香りには好みが分かれますが、肉や魚の臭み消しとして洋風の煮込み料理や、スープの風味づけにも重宝されます。魚介類との中華風いためや、意外なところでは、ぬか漬けや浅漬けも結構いけます。意外と応用範囲の広い野菜なのです。
国名が名の由来――ホウレンソウ(アカザ科)
2008年1月の記事
緑黄色野菜の代表格の一つで、今でこそ一年中店頭で見られますが、本来は耐寒性の強い冬野菜。根元の部分の甘さといい、味の濃さといい、最もおいしさが味わえるのは真冬です。
味の濃さは栄養価に比例しているようで、冬に栽培すると特に栄養価が高く、高温期に栽培するとビタミンCが3分の1ほどまで落ちることが分かっています。
原産地は西アジア地方で、栽培化されたのはペルシャ(現在のイラン)だといわれています。漢字で「菠薐草」と書きますが、菠薐とはペルシャのこと。ルーツとなった国名に由来した名前なのです。
品種はペルシャからヨーロッパに伝わった西洋系(葉が丸く肉厚で、根元の赤みが薄い)と、中国に伝わった東洋系(葉が薄くて切り込みが深く、根元の赤みが濃い)に分けられます。
日本へは16世紀ごろ、中国を経て東洋系品種が渡来したのが最初だと考えられています。しかし大衆的な野菜とはならなかったらしく、貝原益軒の『大和本草』(1709年)には、「体を冷やすので多食してはいけない」とか、「微毒があり、食べても益なし」といった内容の記述が見られます。西洋系品種は1862年ごろにフランスから初めて導入されましたが、長く普及しませんでした。
主要野菜としての地位を確立したのは、意外にも戦後しばらくたってからのことです。健康野菜というイメージの確立には、「ポパイ」の存在も欠かせないでしょう。ホウレンソウの缶詰を食べたとたんにパワーを発揮する水夫が主人公のアメリカ漫画で、日本でもテレビアニメが放映され、人気を博しました。
現在栽培の主流になっているのは、東洋系と西洋系の長所を併せ持った交雑品種で、あくが少ないサラダ専用品種も出回っています。
中国を経て渡来――サヤエンドウ(マメ科)
2007年12月の記事
露地栽培のサヤエンドウの旬は、春の盛りです。しかしほぼ周年流通し、現在の出荷量のピークは1〜3月ごろ。温室栽培が主流になったことや、この時期、中国などからの輸入量が多いのも一因です。
エンドウの原産地は中東や中央アジア辺りと推定されています。石器時代から利用されていたといわれる古い作物の一つで、ギリシャ・ローマ時代にはすでに栽培されていました。
古く中国を経て渡来したようですが、その時期は分かっていません。食用に栽培されていたものの、長い間主要な作物にはならなかったらしく、江戸時代の農書には詳しい記述がありません。明治期に欧米から品種が導入され、各地に定着していきました。
サヤエンドウはエンドウの若いさやを利用する野菜ですが、ほかにも成長のさまざまな段階で利用されるのが大きな特徴です。グリンピース、みつ豆に入っている豆や、近年、豆苗(とうみょう)の名で流通している野菜(主に水耕栽培されたもの)が、いずれもエンドウであることを知らない人も多いようです。ご存じのように、グリンピースは未熟な豆、みつ豆の豆は熟した豆を煮たもの、豆苗は若い芽です。もちろん今はそれぞれふさわしい品種に分化していますが、もともとはエンドウという一つの植物なのです。ちなみにサヤエンドウとグリンピースが合体したような品種にスナップ(スナック)エンドウがあります。1977年に米国で誕生し、食味の良さからすっかり定着しています。
ところでサヤエンドウは意外にも、比較的貯蔵が効く野菜です。低温で上手に貯蔵すれば1カ月は持つといわれています。しかし保存法が悪いと軟化し、おいしさが半減してしまいます。シャキッとした歯応えも特有の香りも、取れたてが一番なのはいうまでもありません。
葉や種子も利用――ハス(スイレン科)
2007年11月の記事
ハスの地下茎であるレンコン(蓮根)は、大きな穴がいくつも開いていることから、「見通しが利く」縁起の良い野菜として、おせち料理やお祝い膳(ぜん)に欠かせません。一年中流通しますが、12月ごろが出荷量のピークです。
インドや東南アジアから中国、日本、ヨーロッパ南部、北アフリカ、北オーストラリアなど、世界の亜熱帯や温帯地域に広く分布しています。
水中の泥の中から伸び出し、えもいわれぬ美しい花を咲かせるため、古くから愛され、栽培されてきました。意外にも、平安中期まではレンコンを食べる習慣は定着していなかったらしく、主に観賞用でした。平安末期以降、食用に適した種類が中国から持ち込まれ、各地に広まったようです。江戸時代の農書には、食用として重要視されていたことが記されています。
日本で食用にされるのは一般にレンコンの部分だけですが、タイなど熱帯アジア地域では、若い葉をスープの具にしたり、花びらを生のままサラダのようにして食べるそうです。成長した葉は、おこわや料理を包むのに使われます。種子は若いうちは生のまま、熟してからは、いったりゆでて皮をむき、砂糖漬けにしてお菓子のように加工することが多いようです。
食用にされるだけではなく、漢方では種子を蓮肉(れんにく)と呼び、強壮や下痢止め、鎮静剤として利用されています。葉柄や花柄の繊維は、織物の原料としても各地で利用されています。こうして見ると、何一つ無駄なく、あらゆる部分が利用できる非常に有用な植物であることが分かります。
栄養面から見ると、レンコンは根菜類の中ではとりわけビタミンC含有量が多く、カリウムをはじめミネラル分をバランス良く含んでいます。粘膜を保護するムチンを含有し、食物繊維も多いため、胃腸の働きが弱い人には特におすすめしたい野菜です。
日本特産の野菜――ゴボウ(キク科)
2007年10月の記事
ゴボウは本来、日本原産の植物ではありません。中国東北部からヨーロッパにかけてが自生地であり、縄文時代に中国を経て渡来したと考えられています。ところが野菜として利用されているのは、世界でも日本だけという特異な存在なのです。
平安朝末期には、その名が文献にも登場しています。『類聚雑要抄』(るいじゅうざつようしょう、平安後期ごろに編さん)には、元永元(1118)年9月24日、鳥羽天皇の宇治平等院御幸の際の献立に、「牛蒡」の名が見られます。江戸時代の『農業全書』(1697年)には、具体的な栽培法や品種についての記載があり、そのころには重要な作物としての地位を確立していたことが分かります。
中国では、野生のゴボウを薬用もしくは救荒食として利用する程度だとか。ところが近年、中国からの輸入ゴボウもかなり流通しています。これは日本の業者が、安い人件費を求めて現地に種子や栽培技術を持ち込み、生産を始めたもので、本来中国ではゴボウは作物ではなかったのです。
ヨーロッパでも食用にする習慣はなく、アメリカでは帰化したゴボウが牧草地の雑草として繁茂し、嫌われ者になっているそうです。
食習慣の違いから、かつて思わぬ悲劇も生まれました。第二次大戦中、連合軍の捕虜にゴボウを出した収容所の職員が、木の根を食べさせて捕虜を虐待したとの罪で、戦犯として罰せられたのです。
日本人にとって、きんぴらや昔ながらのお煮しめ、ドジョウとの相性抜群の柳川鍋など、ゴボウ特有の風味と味は、ほかに代わるものがありません。栄養的にもカリウムやマグネシウム、亜鉛などのミネラル分や、食物繊維を多く含むことが知られています。一見木の根のようなゴボウを食材として見いだしたわれわれの祖先は、先見の明があったというべきでしょう。
縄文中期に渡米――サトイモ(サトイモ科)
2007年9月の記事
原産地については諸説ありますが、インド東部からインドシナ半島にかけての熱帯アジアとする説が有力です。人の移動とともに温帯各地に広がったらしく、日本へは稲に先立って、縄文中期にはすでに渡来していたと推測されます。つまり稲の渡来以前、地域によっては主食的な役割を果たしていたのかもしれません。
そのためか、今も各地に息づく食文化に、サトイモは欠かせない存在です。おせち料理や雑煮にサトイモを使う地方は多く、月見の宴にサトイモを供える風習(芋名月)も、西日本を中心に残されています。ハレの日の儀礼食に使われるのは、古来から重要な作物であったことの証しともいえるでしょう。
ちなみに名の由来は、もともと山野に自生していたヤマノイモ(山の芋)に対して里の芋、サトイモと呼ばれるようになったようです。江戸時代以降にサツマイモやジャガイモが渡来するまで、芋といえばサトイモを指す時代が長く続いたのです。
品種は、主に親芋を利用する親芋用品種(竹の子芋など)、子芋を利用する子芋用品種(土垂(どだ)れ、石川早生など)、両方を利用する親子芋兼用品種(大吉、八ツ頭など)に大別されます。また、葉柄はずいきと呼ばれ、皮をむいてあえ物や汁の実などに利用されます。ずいきは乾燥させると長期保存ができるため、かつて熊本城の畳や壁に使われ、籠城(ろうじょう)時の非常食とされたそうです。
ところで、「芋の子を洗うような混雑ぶり」という表現があります。ここでいう芋はサトイモのこと。サトイモはシュウ酸カルシウムを含むため、特有のえぐ味があり、素手で洗うとかゆみが出ることがあります。かつてはおけに入れて棒でかき回しながら洗ったため、狭い場所に人が込み合っている様に例えられたのです。
語源はカンボジア――カボチャ(ウリ科)
2007年8月の記事
カボチャは日本カボチャと西洋カボチャに大別されます。日本カボチャは中米から北米南部にかけて、西洋カボチャは中米から南米北部の高原地帯が原産地とされています。
先に渡来したのは日本カボチャで、1541年ごろポルトガル船によって運ばれました。寄港地のカンボジア産と伝えられたことから、カボチャと呼ばれるようになり、急速に日本各地へ広まりました。ヒョウタンのようなくびれの入る鹿ケ谷カボチャ(京都)など、在来品種も各地に残っています。
日本カボチャは縦に深い筋の入る品種が多く、果肉がやや粘質で水分が多く、やや未熟なうちから風味があるのが特徴です。煮崩れしにくく、伝統的な日本料理には欠かせない食材の一つです。
西洋カボチャは明治維新のころアメリカから渡来し、当初は北海道を中心に栽培されました。もともと日本カボチャより冷涼な気候を好みますが、暖地向き品種も生み出され、今は暖地でも盛んに栽培されています。ほくほくした食感で甘味が強く、栗カボチャとも呼ばれます。現在、流通の大半は西洋系品種です。
西洋系品種は輸入量も多く、カボチャの国内流通量の約半分は、ニュージーランドやメキシコなどからの輸入物に占められています。
ところで、人の容ぼうをからかう悪口に、「カボチャ野郎」とか「カボチャに目鼻」などがあります。カボチャにとっては迷惑な言葉ですが、辞書には載っていても、耳にする機会はめったになくなりました。でこぼこの少ない西洋カボチャが主流になっていますし、そもそもカットされて店頭に並ぶ昨今は、丸ごとを見る機会すら多くありません。徐々に死語へと向かっている古典的悪口といえるのかもしれません。
故郷は熱帯アジア――ナス(ナス科)
2007年7月の記事
漬けて良し、焼いて良し、揚げて良し。煮てもいためてもおいしいナスは、夏の食卓に欠かせない野菜です。癖がなく、ほかの食材との相性も抜群。一見地味ですが、たくさんのうま味を吸い込んでおいしさを増し、料理の影の主役のような存在です。
原産地はインド東部辺りといわれています。暗い紫色を「茄子(なす)紺」というように、日本では現在、紫黒色が普通ですが、熱帯アジアの市場では、緑や白、黄色など、多彩なナスが並んでいます。形も30cm以上の長いものからウズラの卵大の小形種、縦にひだの入ったきんちゃくのような形までさまざまです。
日本へは奈良時代以前に渡来していました。正倉院の天平勝宝2 (750) 年の記録に、「藍園茄子を進上した」との記述が見られます。江戸期の『農業全書』(1697年)には「紫白青の三色あり、又丸きあり、長きあり」と記され、既に多くの品種が存在していたことが分かります。
現在も、特有の地方品種が各地に根づいています。品種によって調理法に向き不向きがあり、柔らかくて水分量の多い水ナスや、小形で歯触りの良い民田(みんでん)ナスは漬物に、皮が堅く肉質のしっかりした品種は、焼き物や煮物に向いています。
ところで「一富士、二鷹、三なすび」ということわざがあります。夢に見るとめでたいものの順番を指し、一説によると、駿河の国の高いもの(縁起の良いもの)を並べたものだとか。一が富士山、二は愛鷹(あしたか)山。三のナスだけとっぴな感じがします。
実は江戸時代、駿河の国ではナス苗を油紙障子で囲み、馬ふんなどの発酵熱を利用して、促成栽培が行われていました。ついには正月に初物が収穫できるようになり、1個1両といわれるほど高値で取引されたそうです。庶民には高嶺の花、あこがれの初物であったわけです。
先祖はトウガラシ――ピーマン(ナス科)
2007年6月の記事
ピーマンは日本特有の呼称で、フランス語でトウガラシを意味するピマン(piment)からきているようです。
そもそもピーマンとトウガラシの原種は、同種の植物。熱帯アメリカ原産で、ナス科の野菜では最も高温を好むものの一つです。中南米では2000年以上前から栽培されてきました。現在ではおびただしい数の栽培品種があり、辛味がないように改良された系統が、日本でピーマンと呼ばれているのです。
トウガラシは16世紀に日本に渡来しましたが、辛味のない系統は明治期に入ってアメリカから導入され、おたふくトウガラシや甘トウガラシと呼ばれていたそうです。第二次大戦後、食の洋風化で生産量が増え、主要野菜の一つとしての地位を確立しました。ピーマンの呼称が定着したのもこのころです。
ピーマンは独特のにおいと苦味のためか、苦手とする人の多い野菜です。しかしこれは未熟な果実特有のこと。完熟するまで収穫せずにおくと、緑から真っ赤(一部の品種は黄色やだいだいに)に変わり、苦味が消えて甘くなり、ほのかな酸味を生じます。生で食べると果物を思わせる味で、栄養素も格段に増えます。赤ピーマンのカロテン含有量は、なんと緑ピーマンの2・3倍以上になるそうです(女子栄養大学出版・食品成分表より)。
近年、ジャンボピーマンやパプリカの名で、肉厚の大振りなピーマンが出回るようになりました。緑のほか、赤、だいだい、黄色、紫黒色など非常に色鮮やかです。特に赤やだいだい、黄色のタイプは完熟果であり、果物のように甘くジューシーな味が喜ばれています。
ちなみに紫黒色のピーマンは、緑色の色素に紫の色素が重なって黒っぽく見えますが、加熱すると緑色に変わります。
王妃の花飾り――ジャガイモ(ナス科)
2007年5月の記事
ジャガイモは一年を通じて食卓に上り、日本人にとって最も日常的な芋類の一つです。サツマイモと違って甘みに欠け、いわば自己主張の少ない食味から、どんな味つけや調理法にもなじみやすいのが最大の魅力かもしれません。
原種は南米アンデス山地の標高3000〜4000mの地域に自生し、トウモロコシとともにインカ文明を支えた作物です。
1570年にメキシコからスペインに伝わり、16世紀の末には北ヨーロッパに広まりました。当初は花が観賞用に使われたようで、フランス国王ルイ16世の王妃は、帽子にジャガイモの花を飾ったそうです。確かに収穫前の畑を彩る白や紫の花は、花見をしたいほどの美しさです。
ジャガイモはウイルス病に感染しやすいことが知られていますが、このことが歴史に大きな影響を及ぼした出来事があります。1845年、アイルランドでジャガイモの病害が壊滅的に広まりました。ジャガイモは主食になっていたため、100万人を超える餓死者が出たそうです。
このことは、多くの人が新天地を求めて、北米大陸に移住するきっかけの一つになりました。アイルランド系移民が、その後のアメリカ合衆国の繁栄に大きく貢献したことはいうまでもありません。
日本へは、17世紀の初めごろオランダ人によってもたらされました。幕府が救荒作物として奨励したサツマイモに比べると、普及は遅れましたが、明治期に入ってから本格的な栽培が始まりました。貯蔵技術の進歩もあり、今では一年中品質の良いものが容易に入手できます。
ジャガイモに含まれるビタミンCは加熱しても壊れにくいのが特徴で、体内の塩分バランスを整えるカリウムの含有量も豊富です。
4000年前から栽培――ソラマメ(マメ科)
2007年4月の記事
ソラマメは爽やかな若緑がうれしい初夏の豆です。漢字で書くと「空豆」。さやが空に向かって直立するようにつくのが、名の由来のようです。「蚕豆」と書く場合もありますが、これは豆の形が蚕の繭に似るからとも、蚕が繭を作るころに実るからともいわれています。
原産地は地中海沿岸、または北部アフリカや西アジアなど諸説があり、野生種は今も確認されていません。しかし、人類にとって最も栽培歴の古い作物の一つであることは間違いがありません。エジプトでは墳墓の棺の中からソラマメが発見されており、4000年前には既に栽培されていたと考えられています。
日本への渡来は736(天平8)年、来日したインド僧の菩提仙那が行基に伝え、試作されたのが最初とされています。
現在ソラマメといえば、未熟なさやを若採りしてみずみずしい豆を食べるのが主流ですが、かつての利用法はかなり違っていました。江戸時代以降は、完熟した乾燥豆を麦と合わせて米の代用に炊いたり、みその原料とするなど、かなり重要な穀物として利用された記録が残っています(『農業全書』1697年刊)。
現在日本で生産されるソラマメは、未熟な豆を食べる青果用品種が中心。ほかに堅く成熟してから収穫する乾燥豆用品種がありますが、国内での生産はほとんどありません。乾燥豆はお多福豆の名で流通し、多くは中国からの輸入物です。
乾燥豆は、甘く煮つけたり、油で揚げてフライビーンズなどに加工します。ちなみに最近日本でもおなじみの中国の調味料、豆板じゃんも、ソラマメが主な原料です。私たちは、それと知らずにソラマメの加工品を日常的に口にしているのです。
キャベツとは赤の他人――レタス(キク科)
2007年3月の記事
サラダ用としては最もオーソドックスな野菜の一つ。原種はキク科の野草で、ヨーロッパからアジア西部、アフリカ北部にまで分布するといわれています。和名はチシャ。茎の切り口から乳白色の液がにじみ出るため、もともと「乳草(ちちくさ)」と呼ばれており、それがなまってチサ、チシャとなったようです。
紀元前6世紀にペルシャ皇帝に供された記録があり、かなり古くから野菜として利用されたと考えられています。日本へは奈良時代に中国を経て渡来しました。
レタスは大きく分けて4つの品種群に分けられています。茎が長く伸びて葉をかき取って利用する「かきヂシャ」、緩く結球する「立ちヂシャ」(ロメインレタスなど)、リーフレタスとも呼ばれる「葉ヂシャ」(サニーレタスなど)、キャベツ状に結球する「玉ヂシャ」(サラダ菜も含む)です。
一般にレタスといえば玉ヂシャを指しますが、奈良時代に伝わったのはかきヂシャでした。現在のように生食することはなく、葉と茎を煮たり、漬物にしたりしていたようです。かきヂシャは昭和初期までよく栽培されましたが、現在国内ではほとんど見られません。ちなみに近年「ヤマクラゲ」の名で袋詰めされて流通している食材は、かきヂシャの太い茎を裂いて乾燥させたものであり、中国から輸入されています。
玉ヂシャは16世紀にヨーロッパで誕生し、明治期になって少しずつ国内でも栽培されるようになりました。第二次大戦後の食の洋風化に伴って生産が急増し、今やレタスといえば玉ヂシャを指すほどになっています。英名はヘッドレタス(頭状のレタス)、またはキャベジレタス(キャベツ状のレタス)と呼ばれますが、キク科のレタスに対してキャベツはアブラナ科であり、類縁関係はありません。
ふるさとはヨーロッパ――ナバナ(アブラナ科)
2007年2月の記事
ナバナ(ナノハナ、ハナナとも呼ぶ)は、春の息吹を感じさせる季節感あふれる野菜。視覚的にも美しく、ほのかな苦味と柔らかな食感が魅力です。流通は初冬から春先が中心。通常、アブラナの仲間の、つぼみのついた花茎を食用とします。
植物としての祖先種はヨーロッパに自生しています。もともと変異に富んだ植物であり、これが中国に伝わって野菜として発達を遂げました。アブラナや水菜、小松菜、チンゲンサイなど、多くのアブラナ科の葉菜類を総称してツケナ(漬菜)と呼びますが、これらは同じ祖先から生まれたと考えられています。
ツケナの日本への渡来時期ははっきりしませんが、古くから栽培され、野菜として利用されてきたことは明らかです。花茎を利用するタイプのツケナは古来クキタチナ(茎立菜)と呼ばれ、『万葉集』にも「九久多知(くくたち)」の名で登場しています。
地域によっても差異がありますが、品種的にはチリメンハクサイから分離した系統が多く利用されているようです。分枝が多く、花茎を多く収穫できる品種が向いています。
ツケナの仲間を春まで畑に放置すると、いずれも花茎を伸ばし、鮮黄色の花を咲かせます。水菜や小松菜の花茎、ハクサイの花茎など、どれも食べられますが、当然ながら葉の形や茎の太さ、つぼみの食感などに違いがあります。苦味や甘味も多様で、食べ比べると楽しいものです。
営利栽培は難しいのかもしれませんが、エディブルフラワー(食用の花)の一環としても、「新タイプのナバナ」の可能性はまだまだあるような気がします。
ちなみにナバナはカリウム、カルシウム、各種ビタミン類などを非常に多く含み、栄養的にも大変優れた野菜です。
キャベツ一族の一員――ブロッコリー(アブラナ科)
2007年1月の記事
和名はミドリハナヤサイ。食用にされている部分は、つぼみの固まりと花茎の一部です。流通システムが完備され、アメリカ産を中心に輸入物も一年中流通していますが、本来、国産の旬は12〜3月ごろです。
祖先は意外にもキャベツと同種で、地中海沿岸に自生するケール(青汁の原料として有名)に似た植物です。その証拠に、収穫せずに育てて花を咲かせると、いずれも淡黄色の愛らしい4弁花をつけます。
人が野菜として利用する中で、葉が丸まって球形に育つように改良されたのがキャベツ、主につぼみが食用になるよう改良されたのがブロッコリーやカリフラワー、ほかに芽キャベツやコールラビなども、同じ祖先から生み出されました。いわばキャベツ一族は、野菜界の一大勢力なのです。
ブロッコリーは、紀元前2000年ごろ、ローマ人が野生種のつぼみの固まりと若い茎を食用にしたのが起源ともいわれています。その後もこの系統はイタリアで発達しました。
日本への渡来は明治初年でしたが、長く普及せず、栽培化が進んだのは第二次大戦後のことです。まずは米軍向けの野菜として東京近郊で作られ始め、食生活の洋風化とともに一般にも広まりました。濃い緑色の品種が中心ですが、黄緑や紫の品種も登場しています。
最近とみに注目が集まっているのは栄養面です。ビタミン類や鉄分など、重要な栄養素を多く含み、とりわけブロッコリーの芽(ブロッコリー・スプラウトと呼ばれ、かい割れ菜の形で流通)はスルフォラファンという抗がん作用の高い物質を含むことで知られるようになりました。がん予防効果の高い食材として、大いに期待されています。
日清戦争を機に普及――ハクサイ(アブラナ科)
2006年12月の記事
ハクサイは、鍋や浅漬けに欠かせない冬野菜の代表格。意外にも日本での歴史は浅く、食卓に上るようになってせいぜい100年ほどです。
不結球タイプの品種が江戸時代後期に、結球性の品種が幕末の1866年に渡来しましたが、当時はあまり普及しなかったようです。その後、日清戦争(1894〜95)の折に中国に渡った兵士が、現地でハクサイのおいしさを知り、種子を持ち帰ったことが普及するきっかけになったともいわれています。
学名はブラシカ・ラパ。実はこれ、カブや小松菜、チンゲンサイなど、多くのアブラナ科の野菜と同じです。つまり分類的には同種なのです。
ブラシカ・ラパは、もともと地中海沿岸が原産地といわれています。交配によって極めて変異が起こりやすく、カブのように根が肥大するタイプや、小松菜のように葉を利用するタイプなどが生まれました。ハクサイのように結球するタイプは中国華北地域に起源があり、カブとチンゲンサイの仲間の交配によって作られたといわれています。
20〜30年前まで、大玉のハクサイをまとめ買いして漬け込むのは、一般家庭でもよくある光景でした。核家族化が進んだ現在、そうした家庭は少なくなっています。店頭でも丸ごとのハクサイより、二つ割りや四つ割りにしてラッピングしたものが目立ちます。
一方で食事が洋風化したこともあり、サラダやクリーム煮にするなど、調理法にはバラエティーが出てきています。おいしい食べ方の提案も、これからもっともっと出てくるかもしれません。
地方品種の復活も―ダイコン(アブラナ科)
2006年11月の記事
ダイコンは非常に古くから利用されてきた野菜の一つです。エジプトでは紀元前2700〜2200年ごろのピラミッド建設の折、タマネギやニンニクとともに支給されたとの記録が残されています。
原産地には諸説あり、中央アジアとも地中海沿岸ともいわれています。
日本への渡来時期ははっきりしませんが、『日本書紀』(720年)の仁徳天皇の歌に「おおね」とあるのが最初の記録です。これに「大根」の字を当てるようになり、やがて「ダイコン」と称されるようになりました。
日本で栽培される野菜で、これほど多様な姿を持つものは少ないでしょう。桜島ダイコンは重さ10〜25kg、時に30kgを超えますし、守口ダイコンは長いもので2mにも達します。用途によっても、煮食に向く三浦ダイコン、辛味が強くそばの薬味などに使われる辛味ダイコン、漬物向きの練馬ダイコンなど、さまざまなタイプが使い分けされてきました。
現在、流通の中心品種は青首ダイコンです。消費者にとっては甘味があり、生食にも煮食にも使いやすいこと、適度な長さで持ち運びや冷蔵に便利なこと、生産者にとっては畑で抜きやすく、箱詰めしやすいなど、さまざまなメリットがある品種です。
一方で、青首ダイコンの席巻で消えてしまった地方品種もあり、多様性が失われつつあることへの嘆きも聞かれます。地方によっては在来品種の生産を増やしたり、復活させようという動きも出てきています。
東西で好みの差―ネギ(ユリ科)
2006年10月の記事
薬味として一年中欠かせず、寒い季節は鍋料理の名脇役になるネギ。日本ではごく古い時代に普及した野菜の一つです。
日本にしっかり根を下ろしていますが、そのふるさとは中国西部からシベリアにかけて。渡来時期ははっきりしません。『日本書紀』(720年)には「秋葱(あきぎ)」の記述があり、平安時代にはすでに栽培されていたようです。
欧米で一般的なリーキ(西洋ネギ)は地中海地方原産で、ネギとは別種です。ネギは今も東洋の野菜であり、ことさら日本での栽培が多いのです。
ネギは葉ネギ(青ネギ)と根深ネギ(白ネギ)に大別されます。葉ネギはほぼ全体が緑で、特に関西で好まれます。根深ネギは白い部分が多くなるように土寄せ栽培したネギ。主に関東以北で主流です。
ネギの違いは、関東と関西の好みの差としてよく話題にされますが、もともと根深ネギは寒さに強く、葉ネギは暑さに強い性質があります。それぞれの風土に適したネギが主流になったともいえそうです。
もっとも近年、地方色の強い品種も含めて多様なネギが入手しやすくなってきました。今後東西の好みの差は、少しずつ縮んでいくのかもしれません。
ネギのツンとする香りの成分は硫化アリルで、抗菌作用や殺菌作用、保温作用などが知られています。風邪の予防や初期症状の緩和などが期待でき、香味野菜としては胃もたれ防止や食欲増進効果もあります。今後も日本人好みの野菜として、愛され続けていくことでしょう。
食糧難の救世主―サツマイモ(ヒルガオ科)
2006年9月の記事
ジャガイモはヨーロッパの食糧危機を救った作物といわれますが、日本でその役割を果たしたのがサツマイモでした。
享保17(1732)年の飢饉(ききん)の折には、救荒作物として多くの命を救った記録が残されています。第二次大戦下にも、食糧難から国を挙げて栽培が奨励されました。米の代わりにサツマイモばかり食べさせられた記憶から、「今もサツマイモは食べたくない」と語る人もいるほどです。
サツマイモの原種は、メキシコから南米のグアテマラにかけて自生していたものです。そもそも肥大した根(塊根)を食べる野菜ですが、原種は普通、小指大のサイズだそうです。突然変異で特に肥大するタイプが現れ、それを見いだした先住民が栽培化したと考えられています。既に紀元前3000年以前にはメキシコ地域で栽培が始まっていたと考えられ、中南米各地に広がりました。
日本への渡来は、1606年に中国から沖縄へ持ち込まれたのが最初とされています。それとは別に、1600年代の初頭、フィリピンのルソン島から薩摩藩(現在の鹿児島県)に導入されています。サツマイモの名は、江戸幕府が薩摩から種芋を取り寄せたことに由来します。ちなみに別名のカンショ(甘藷)は「甘味のある芋」の意味です。
栄養的には、食物繊維やビタミンCを多く含み、便秘予防や動脈硬化の改善が期待できます。また、肉質が紫色になる紅芋や紫芋の色素には、抗酸化作用があるアントシアニンが多く含まれることが知られています。これらは、沖縄や鹿児島など特定の地方で栽培されてきましたが、今や全国的に知られ、菓子などの加工品も増えています。
野生種は色とりどり―ニンジン(セリ科)
2006年8月の記事
ニンジンはカロテン(ビタミンA)を最も多く含む野菜の一つ。緑黄色野菜の代表選手といってよいでしょう。鮮やかなだいだい色が食卓に彩りを添えてくれます。
ところが、原産地のアフガニスタンでは、ニンジンの野生種は白、黄色、褐色、赤紫など色がとても変化に富んでいるそうです。その界隈で野菜として栽培化が進み、15世紀ごろまでにヨーロッパ各地に広まりました。
中国を経て日本へ渡来したのは、16世紀といわれています。渡来してからはあまり間を置かずに普及し、主要な野菜としての地位を確立していきました。『農業全書』(1697年)には、「是菜中の賞翫(しょうがん)にて味性も上品の物なり、菜園にかくべからず」と記されています。
当時は国内でも赤紫や白、黄色などのさまざまなタイプが栽培されていました。現在、それらの多くは見ることができませんが、主に西日本で栽培されている鮮紅色の京ニンジン(金時)には、その名残があります。沖縄で栽培されている黄色の島ニンジンも、変わり種の一つといえるでしょう。
現在主流になっているだいだい色の品種群(西洋ニンジン)は、明治初期に導入され、急速に普及しました。ニンジンといえばだいだい色というイメージが定着したのは、それ以降のことなのです。作型も春夏ニンジン、秋ニンジン、冬ニンジンと分化し、季節ごとに産地を変えて、一年中安定供給されています。
ニンジンに多く含まれるカロテンには、動脈硬化やがんを誘発する活性酸素を抑えたり、体の免疫力を高める効果があることが知られています。近年では手軽に摂取できるニンジンジュースの需要が急速に伸び、ジュース向きの品種も開発されています。
故郷はアンデス高地―トマト(ナス科)
2006年7月の記事
世界中で重要な野菜として愛されているトマトですが、作物としての歴史は浅い部類といえます。今でこそトマトなしのイタリア料理やスペイン料理は考えられませんが、ヨーロッパで野菜として使われ始めたのは、18世紀以降のことなのです。
トマトの故郷は、南米ペルーのアンデス高地です。原種の実は小粒で、大きくても直径2cm程度。現在のミニトマトに近い姿です。これが中央アメリカのメキシコに伝わり、作物化が進みました。紀元1000年ごろには栽培型のトマトが誕生したと考えられています。
メキシコを征服したスペイン人によって、1523年ごろにはヨーロッパに持ち込まれましたが、当初は観賞用として扱われていたそうです。野菜として広く欧米に普及したのは、19世紀に入ってからでした。
日本へは寛文年間(1661〜73)に長崎に渡来したといわれていますが、やはり最初は観賞用でした。明治初めには欧米から品種が導入され、野菜としての試作が始まったものの、特異なにおいや色が敬遠され、なかなか普及しませんでした。
大正期以降、栽培は徐々に増えましたが、消費量が顕著に拡大したのは第二次大戦後のこと。食の洋風化に伴い、サラダ野菜として盛んに食卓に上るようになったのです。
「昔のトマトの味が懐かしい」とは、年配の人からよく聞く言葉です。「酸味も甘みもしっかりしていた」とか「独特の青臭さがあった」等々。しかし最近、糖度が高く、程よい酸味のある濃厚な味のトマトを目指して、栽培方法の工夫が進んでいます。「昔のトマト派」も満足させる味に近づきつつあるのではないでしょうか。
トマトは近年、最も味の向上が見られる野菜の一つといえるかもしれません。
名の由来は「黄瓜」―キュウリ(ウリ科)
2006年6月の記事
サラダや漬物用野菜として、一年中おなじみのキュウリ。本来は夏野菜で、ハウス栽培が主流の現代でも、7〜8月にかけてが出荷のピークです。
明らかな原種は発見されていませんが、原産地はインドだとする説が有力です。
日本へは仏教文化とともに、遣唐使によってもたらされたようです。1000年以上前には既に栽培されていたらしく、平安時代の本草書『本草和名』(918年ごろ)にその名が記されています。当時は野菜というより、薬用植物として扱われていたようです。
『農業全書』(1697年)には、何と「是下品の瓜にて(中略)いなかに多く作る物なり。都にはまれなり」と記されています。当時は同じウリ科のマクワウリやトウガン、ユウガオなどの方が、野菜として価値が高いものとされていたのです。
ちなみにキュウリの語源は、漢名の「黄瓜」だといわれています。私たちが現在目にするキュウリは濃い緑色ですが、これは未熟な段階で収穫しているため。成熟するとヘチマのように丸々と太り、鮮やかな黄色に変わります。
かつてはキュウリも成熟してから食用にするのが一般的でした。しかし、甘みも少なく比較的硬く、ほかのウリ科の野菜に比べて食味が劣ると評価されていたのです。
重要な野菜の一つとして定着したのは、江戸時代も末期になってからでした。第二次大戦後には食の洋風化が進み、サラダとして生食するのが一般的になりました。それとともに栽培も周年化していったのです。
今やキュウリは、果菜類のなかでトマトと1〜2位を争う代表的な存在になっています。
初夏を告げる野菜―ラッキョウ(ユリ科)
2006年5月の記事
ラッキョウというと、まず頭に浮かぶのはカレーのつけ合わせとしておなじみの甘酢漬けかもしれません。実際、ラッキョウの大半は漬物などに加工され、消費されています。野菜としての旬はいつかと問われると、戸惑う人も多いのではないでしょうか。
多くの野菜が周年出荷される昨今、ラッキョウは出荷期が限られる野菜の一つ。店頭に掘りたての泥つきラッキョウが並ぶのは、初夏の一時期です。毎年、自家製ラッキョウ漬けを作っている人にとっては、初夏を告げる季節感たっぷりの野菜なのです。
自生地は中国とされていますが、インドシナ半島やインドにも野生のものが見られるようです。ごく古い時代に日本に渡来したらしく、『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅうしょう、平安中期の漢和辞典)には、「於保美良(おおみら)」の名で登場しています。
江戸時代の『農業全書』には、みそ漬けやかす漬け、ゆでて酢としょうゆに漬けるなど、栽培法とともに多くの食べ方が紹介されています。その後、カレーのつけ合わせとして一般化したのは、昭和初期のことでした。
ところで、国内で「エシャロット」の名で流通している生食用の野菜がありますが、これはほとんどが土寄せして軟白栽培したラッキョウです。本来のエシャロットは小粒のタマネギのような姿で、ラッキョウとは全くの別種。市場で間違って使われた呼び名が、いつしか定着してしまったのです。
本来のエシャロットは、フランス料理などに使う香味野菜としてヨーロッパなどからごく少量が輸入され、「ベルギーエシャロット」の名で流通することが多いようです。
結球する野菜―キャベツ(アブラナ科)
2006年4月の記事
キャベツといえば、一年中冷蔵庫の片隅にあって、季節感の薄い脇役的な存在に思われがちでしょう。それもそのはず、市場でも月別入荷量の変動が極めて少ない野菜の一つなのです。でも、春先だけはいつもとちょっと違う顔をしています。「春キャベツ」と呼ばれ、緑濃い葉色と甘さ、柔らかさは格別のものです。 キャベツの一番の特徴は、葉が結球した丸い姿。名の語源をさかのぼると、ラテン語で「頭」を意味する言葉だそうです。ちなみに和名はタマナ(玉菜)。カンラン(甘藍)は漢名から来た名前です。 ところが、もともとの原種は結球せず、ヨーロッパ西部や南部の海岸地帯に生えているありきたりの野草でした。古くから食用にされていたようですが、栽培されるようになったのは、紀元前6世紀ごろといわれています。その後、長い栽培の歴史の中で、突然変異で葉が結球するタイプが現れ、改良が重ねられて現在のキャベツになったのです。 実は、キャベツと同じ祖先を持つ野菜はほかにもあります。ブロッコリーやカリフラワー、健康野菜としてジュースの原料などに利用されているケールもそうです。ちなみに芽キャベツは、葉の付け根から出るわき芽だけが2〜3cmに結球するキャベツの1品種です。 ケールは原種の野草に近い姿をとどめていますが、ブロッコリーやカリフラワーは、つぼみや花茎ばかり異常に発達した突然変異体から改良されました。現在の似ても似つかぬ姿からは、同じ原種を先祖に持つとは思えないほどです。 人間が食料として栽培し、よりおいしいもの、珍しいもの、収穫量の多いもの、土地に合うものを求めて改良を重ねてきた結果が、現在の野菜の姿なのです。
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